大阪地方裁判所 昭和28年(ワ)2047号 判決 1960年7月16日
日本勧業銀行
協和銀行
住友銀行
静岡銀行
事実
原告は昭和二八年二月一六日破産宣告を受けたK株式会社の破産管財人であつて、被告D株式会社に対し金三一八万円と遅延損害金の支払を求めた。請求原因を要約すれば次のとおり。
昭和二六年春頃破産会社は資金繰りに困り取引銀行の手形割引枠も満枠であつて、優良会社振出の廻り手形の割引先に窮したので、相当の割引枠も持ちながら利用していなかつた被告会社(破産会社の専属下請加工会社)に次のような割引委託を依頼した。被告会社は、破産会社の委託により、その手持の及び将来取得する手形を、被告会社名義で、被告会社の取引銀行である、勧銀豊橋支店等四銀行で割り引くことになつた。当時被告会社は四銀行に多額の旧債が残つており、銀行の要求で、右割引毎に所謂歩積金を含み割引金の一部(約一割余)を一時銀行に留保(被告会社名義の預金として等)し、後日銀行に対する被告会社の旧債の返済にあてる(相殺する等して)ことになつた。ところで、右銀行の留保する金員は本来被告会社を通じ破産会社に引き渡さるべきものであり、結局被告会社は、破産会社の出捐により、旧債消滅という利益をえることになる。そこで被告会社はこの旧債に充当する金員を一括して後日破産会社に返還することを破産会社に確約した。かくして、被告会社は右割引受諾に基き昭和二六年中に四銀行において額面総額三、二〇〇余万円の手形を破産会社のために割り引き、その内合計金四〇〇余万円が右方法により被告会社の旧債に充当され、被告会社は同額の約定による金員返還債務を負うに至つた。昭和二七年二月末被告会社は破産会社に対し、破産会社の認めた反対債務を控除した金三四三万円について分割弁済を約しながらこれを支払わない。破産会社は別に被告会社に負担する後記主張どおりの株券返還債務不履行による金二五万円の損害賠償債務と本訴で対当額について相殺の意思表示をなし、残元本債務と遅延損害金の支払を求める。
被告は右請求原因事実を全部争い、仮定的に自然債務の抗弁、債権抛棄の抗弁を主張し、更に次の反対債権をもつて本訴で(昭和三三年一〇月一六日の弁論期日)対当額につき相殺の意思表示をすると抗争した。
①九〇〇万円の賃加工契約履行に基く損害賠償債権
②一、五〇〇万円の同右債権
③合計金五三八、三〇四円の手形債権
④評価額金一二五万円の株券返還債権
⑤四、〇二五、七八〇円の本件手形割引受託に対する、特約が認められないとすれば商法五一二条による報酬債権
原告は被告主張の右①②③の反対債権を否認、③の手形債務は是認、④は競落代金二五万円の限度でその取得を認め、再抗弁として、右③の手形債権は、その主張する相殺前に、本訴債権の内金と対等額での相殺を主張した。
被告の右③による相殺については手形の呈示交付はなかつた。③の手形債権の明細は
(イ)金額一〇万円、満期昭和二七年二月一〇日、振替日昭和二七年一二月三一日、振出人破産会社、受取人被告会社(その他の要件省略)二通
(ロ)金額一〇万円、振出日昭和二七年一月五日その他前同一通
(ハ)金額一〇万円、振出日同年一月一一日、その他前同一通
(ニ)金額一三八、三〇四円。満期同年三月二六日、振出日同年二月二七日、その他前同一通である。
理由
原告の主たる請求原因事実は一応認められる(原告は破産会社と被告間の契約は消費貸借であるとの見解をとつた。裁判所は、右法律上の意見は裁判所を拘束しない。裁判所は単純な将来の債務負担契約にすぎないと解した)。
被告の自然債務の抗弁、放棄の抗弁、①②の反対債権による相殺の抗弁は証拠上認められない。
手形債権による相殺の抗弁及び原告のこれに対する再抗弁について、
先づ被告会社がその出張日時頃に破産会社に対し主張の五通の手形に基く金五三八、三〇四円の手形債権を取得した点については当事者間に争いがない。そして本訴提起後現在迄本件手形が被告会社の手中にあることについては原告は明らかに争はずこれを自白したものとみなす。
次に原告は破産会社が被告会社より甲第一号証の覚書の作成交付を受けた昭和二七年二月二八日より前に破産会社において当時有した本件契約に基く金四、〇三一、六二〇円の金員返還債権中金六二九、四一五円部分を以つて右手形債務と対等額において相殺をなしたから被告主張の右手形債権は消滅済である旨再抗弁し、被告はこれを争うのでこの点判断するに、先づ原告が受働債権としたとする本件手形債権の内被告主張の(ロ)(ハ)(ニ)の各手形債権の満期はいづれも右原告主張の相殺日時より後である前同二七年三月一日((ロ)及び(ハ))同月二六日((ニ))であるところ、一般に手形所持人は手形法第四〇条第一項及び第七七条第一項により満期前弁済を受けることを強制されることはない。従つて受働債権の債務者の一方的行為により該受働債権の債権者にその債権の処分を強制するに等しい相殺の如きは満期前の手形債権を受働債権としてなす場合は無効と解すべく、又自働債権が相殺当時弁済期にあつた点の主張立証不十分(業績回復次第遂次支払うという程度のもの)であるから、前示被告主張の(ロ)(ハ)(ニ)の手形を受働債権とする相殺についての原告の主張は爾余の点を判断するまでもなく主張自体理由がない。
次に被告主張の(イ)の手形二通を受働債権とする原告主張の相殺については、証拠上認めることができない。再抗弁は採用しがたい。
従つて被告はその主張相殺日時において五通の手形額面合計金五三八、三〇四円の手形金債権を有したこととなる。そして受働債権が破産会社の破産により破産財団を構成することとなつたため、被告主張の相殺の意思表示が昭和三三年一〇月一六日の本訴口頭弁論期日において破産会社の破産管財人たる原告に対しなされたことは、当事者間に争のないところであるが右相殺は手形債権を自働債権とするものであり乍ら手形の交付がなされた点につき双方より何等主張立証がないところかかる手形の交付のない相殺の有効性が問題になるので考える(尚本件は手形金支払債務者に対する手形金請求権が自働債権となつている場合であるから以下この場合に限定して考える)。抑々訴訟外での手形債権を自働債権とする相殺については手形の交付或いは一部支払あつた旨を手形上に記載する機会を与えるための手形の呈示(自働債権の方が受働債権より金額が大なる場合)が有効要件とされ、その形式的根拠は手形法第三九条により支払と右手形交付が同時履行の関係にあること即ち手形の受戻証券性によるとされその実質的根拠は手形を受戻さずして弁済等により手形債務を消滅させても手形債務者は、(1)その相手方が手形の正当な所持人でなかつた場合には再び真正な所持人の請求に応ぜねばならない場合がおこる。(2)真正所持人に弁済等をなしてその関係で手形債権が消滅しても右真正所持人が手残り手形を支払拒絶証書作成前又は作成期間経過前に第三者に譲渡してしまえば支払等による手形債務消滅の抗弁は人的抗弁であるから切断される。(3)又右譲渡が右期間経過後であつても右支払等による手形債務消滅を右第三者に対抗するために必要な即ちそれが期限後取得である点の主張立証責任を自ら負担せざるをえない(手形法第二〇条第二項)。という三箇の不利益を含む所謂「二重払の危険」を負う。即ち、右手形の交付又は呈示を相殺の有効条件と解しないときは(1)手形債権を自働債権として相殺を主張する者に対する関係においても同人が真正所持人でなかつた場合は後日真正所持人の請求により手形債務を弁済して後に始めて相手方たる自働債権の手形債務者は相殺の無効を主張して反対債権の行使をするの外なく、(2)又真正所持人が相殺後手残り手形を悪用して他に譲渡してしまえば、右譲渡が支払拒絶証書作成前又は右期間経過前であれば、支払、相殺等による手形債務消滅の抗弁は人的抗弁に過ぎないから切断され、(3)右が右期間経過後である場合は、右手形債務消滅を譲受人に対抗しうることになるが、無日付裏書は右期限前になされたものと推定され(手形法第二〇条第二項)、立証上の不利益を蒙りこのため結局右(2)(3)の場合は譲受人に対し二重の弁済を強いられる破目となり、相殺者に対しては、右二重の弁済後に始めて損害賠償請求をなしうるに過ぎないこと。更に右相殺者の資産悪化の場合は更に右反対債権や損害賠償請求権行使に関し不利益を蒙ること。しかも相殺は債権者の一方的意思表示によるものだから右の如き不利益を(もともとこれは債務者側からの債権消滅行為の際に債務者が受戻権を行使しない場合におこるものである)債務者に帰せしめることができないこと。等によるとされている。
そこでこれを本件の如き前示相殺が訴訟上の攻撃防禦方法としてなされる場合について考える。(一)、先づ、それは訴状や準備書面の記載、法廷における弁論行為という一ケの社会的現象であり乍ら法体系が実体法と訴訟法の制度的対立法体系に分立しているために各体系下においてはその各要件を具備する以上即ち本件では実体上の法律要件たる相殺行為と訴訟法上の右行為事実についての陳述行為の各存在が競合的に観察しうるから右二行為が併存することになるに過ぎない(社会的事象としても二ケの行為があるわけでなく又いづれかの体系に属する行為のみがあるのでもない。)もので、従つて右法体系分立の原則によりすれば、各法体系上の行為の要件は該体系法によつてのみ定むべきであるが、両者は全く無関係であるべき理由はなくむしろ右両行為が同一社会的事実として相関連している場合はその特異性の故に右の如く相関連していない場合に比し各要件効果にも或る程度の関連的影響を認むべきである。そしてその特異性というのは、抑々本件の如き訴訟上の相殺の意思表示は通常は受働債権に関する争(その存在又は履行に関する)を前提とし、それについての裁判所の判断を質的或いは量的に自己に有利に導かんためになされるところよりすればかかる相殺は該訴訟において攻撃防禦方法として意義を持ち即ちその要件効果について裁判所の判断を受けるに至つたときにのみその効果を生ぜしめる意思であると認められるのが通常であるから、訴訟上の相殺は常にかかる該訴訟において攻撃防禦方法としてその要件効果につき判断を受けるに至つたことを停止条件とするものと解するを相当とする(従つて訴却下又は取下げの如く訴訟の途中における消滅の場合は相殺の効力は発生せず)、そしてかかる条件は民法第五〇六条但書に反しない。蓋し、右法条の趣旨は単独行為一般におけると同じく相手方の意思によらずして一方的に不安定な地位にならしめることが不当であるという理由に基くところ訴訟上の相殺がなされ即時その効力が確定しないために被相殺者が例えば連帯債務者の一人で他の連帯債務者に対する関係で不利益を受けることがあるが、その多くは受働債権の存否の争に起因すること多くこの場合はむしろ相殺一般の法定条件たる受働債権の存在が確定しないための反射的効果に過ぎず右停止条件が付されていると否とで大差はない(蓋しかかる条件がついていないとみる立場に立てば理論的には実体上は相殺の時点においてその効力が確定されるとはいうものの訴訟法的には受働債権に争ある以上現実的には相殺者は該訴訟の結果遡及的に右実体法上の相殺の効力が確定されることを予想して右相殺を前提とし行動することは躊躇せざるを得ないから。)又、自働債権そのものについて争があり不安定な状能がつづく場合、又は訴却下取下げ等による効力不発生に基く被相殺者の地位の不安定は主に同人の意思又は帰責事由によるものというべく、結局右条件事実は裁判所の行為であるが訴訟内の事実であり単独行為者及び相手方の全く関知しない純粋の第三者的事実でなく相手方との関係において、しかも相手方が現に認識している事実でしかもその意思又は態度により左右される性質のものであるから相手方を不当に一方的に不利益に陥れる虞もなく又法律関係を紛糾させることにもならないからである。尚本件の如き予備的抗弁の形式をとる場合もそれは実体法的には「債務が存在すれば相殺するというが如き法定条件に関する当然の事をのべたに過ぎず前示停止条件以外に別個に条件を附加するものでないから以下同様である。
(二)、次にかかる条件付相殺の場合でしかも本件の場合のように被相殺者が手形の最終的債務者であつて他に権利行使のために該手形を必要とする(例えば再遡及の場合)ことがない場合においても相殺の有効要件として手形の呈示又は交付を必要とするかについて考えるに、(イ)先づこの場合における前示の実質的根拠たる「二重払の危険」の可能性についてみると相殺者が真正所持人であるか否かの問題は被相殺者が争う限り原則的に手形原本を提出せねば裁判所においてその効力が認められないから後に問題を残すことなく、次に該訴訟終了前に相殺者が自働債権たる手形を第三者に譲渡し同人より請求があつた場合は被相殺者は支払わざるをえないが相殺者に対しては相殺の効力未発生を理由に反対債権を行使でき、又訴訟確定後に右譲渡は事実審口頭弁論終結前になされたとして請求された場合には相殺の要件及び効果を判示した確実な証明力を有する判決が容易に入手できるから前示手形法第二〇条第二項の不利益を受けることは殆んど考えられない。(ロ)次に他方訴訟上の相殺においても手形の交付又は呈示を有効要件とすると後に当該訴訟で相殺の効力を判断する必要がなくなつた場合、または相殺は無効と判断された場合でも悪質な被相殺者より手形の返還を受けえずこれについて返還請求訴訟を提起せざるをえない煩しさが予想され、この危険と右を有効要件としない場合における「二重払の危険」における立証面の及び反対債権を行使せざるをえなくなつた場合の相殺者の資産状能が悪化してしまつていたことによる不利益を対比すると頻度及び程度よりして前者の弊害の方が重大であるといわねばならない。
右のとおり主たる手形債務者に対する手形債権を自働債権として訴訟上相殺をなす場合においては手形の交付又は呈示を有効要件とする実質的根拠として訴訟外のそれの場合に論じられる被相殺者における不利益が殆んどなく、しかもこれを有効要件とした場合に予想される相殺者における危険の方が重大であるから、かかる場合にも尚形式的にのみ手形の受戻性を強調して相殺の有効要件とするには及ばないと解すべきである。
以上の次第であるから本件被告主張の相殺は手形の交付について主張立証がなくとも他の要件が前認定のとおり認められる以上有効であるというべきである。従つて右相殺に供せられた自働、受働両債権は相殺適状にあつた日に遡つて消滅したこととなり、被告の本項抗弁は理由がある。
株券返還債務不履行による金一二五万円の損害賠償債権による相殺の抗弁及びこれについての原告の再抗弁について。
争のない(原告は右債権と同一性ある後記填補賠償債権を金二五万円の限度で自認するので右自動債権額も同限度で自認するものと解する)限度の右自働債権については、原告において被告主張の相殺前に既に消滅済である旨抗争するのでこの点について考えるに、破産管財人たる原告が破産債権者たる被告会社の右争のない評価額限度の前示返還債権を受働債権としてなす相殺には後記の如く破産法の適用がないところ、証拠によれば昭和三一年八月二九日被告会社は、前示株券返還債権と同一性ある填補賠償請求権を取得したことが認められる。次に原告が被告主張の相殺日時(昭和三三年一〇月一六日)より以前である前同年九月一日付「原告準備書面(其七)」と題する文書により前認定のとおり全額弁済期にある本訴金三四三万円の基本債権たる金員返還債権を以つて同じく性質上発生と同時に弁済期にある右填補賠償請求権をその内自己のみとめる金二五万円の限度で対等額において相殺する旨の意思表示を被告会社代理人に対しなし右がその頃到達した事実は当裁判所に顕著であり他に右に反する証拠はない。よつて前記両債権は相殺適状にあつた前示同三一年八月二九日に遡り対等額において消滅したものということができる。尚かかる破産管財人のなす破産債権を受動債権、財団所属債権を自動債権とする相殺には前示のとおり破産法の適用なく原則として民法によるが特に破産法の根本趣旨たる平等弁済の趣旨に反することが相殺当時の客観的事情によりみとめられる場合(例えば当時破産債権者が有資力であつて破産財団所属債権の取立困難でなく取立のできる全額が配当額より多く配当財団に有利なることが相殺当時客観的にみとめられる場合等)に限り相殺は無効と解する見解もあるが、破産手続上なされる相殺はいづれの当事者による場合もそれは元来平等弁済の原則を緩和したもので、法が破産債権者側からのそれには破産法第一〇四条で制限しながら他方の管財人側からのそれに沈黙している一方同法第一六四条に管財人の責任規定をおいている点よりすれば民法の相殺の要件が満足されれば管財人の右法条による責任発生は別として相殺自体は有効と解すべきである。
よつてこの点の原告の主張は理由があることになり、結局被告の評価額金一二五万円の株券返還請求権による相殺の抗弁は爾余の点を判断するまでもなく全部理由がない。
被告の⑤の債権による相殺の抗弁の主張は商法第五一二条に基いて金一〇七二、〇七九円の限度で理由がある。
従つて本訴請求は一六八七、一六九円二四銭及びこの内金一、五六九、六一七円に対する昭和三一年八月二九日以降年六分の金員の支払を求める限度で認容、その余の請求は棄却。